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2011年10月23日 (日)

10月22日、23日 秋合宿の報告

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初日の午前中のみ、ちょっぴり?強めの雨となりました。

大クスの木を訪ねた頃には、今年もまた?日高アリーナのグルグルを覚悟しましたが、午後のメイン練習頃には最適の天候(ほどよいお湿り?)になり、結果オーライ♪でしたネ。

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午後練習には、午前中からの宇梶さん、谷戸さん、所さん、岡内に加え、宇梶さん(と私)のJognote マイリンクの走友であるタキさん、そして寺西さんと岡田さんが合流されました。また周回途中から谷中さん、森脇コーチが合流でした。

(記:岡内)

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2日目は、絶好の秋晴れ清々しい朝となりました。

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メニューのとおり10、8㎞を基本コースとして1周目は全員で景色を楽しみながら楽しくLSD。2周目以後は体調に合わせて、それぞれのペース、コース設定で走りました。11名の少数精鋭でしたが、一番の収穫は久しぶりに寺西さんが戻ってきてくれたことでしょうか。今後、練習
会も参加ということなので早く健脚復活が見たいものです。

(記:宇梶)

2011年10月16日 (日)

10月16日 小鹿野ロードレース

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久々の自己ベスト更新でした! 結果、1時間38分20秒(目標の1:40をクリア^^)

それにしても・・・
だらだらの上り坂と照りつける太陽によって、スタミナの消耗が酷くて、
まわりの景色は良いのですが、走っても走っても折り返し地点(コース最高地点)が
見えてこない><

0000934ポラールの心拍グラフ(高度、速度)、ikejuuさんから教えてもらった16kmの激坂の様子がはっきり出ています。見事6分ペースに・・苦笑)

0000934_2 青葉先生のお話、良かったです。前日の箱根予選会にて大東が残念な結果になった直後でもあり、招待選手として前に並んでいる大東文化大の選手にむけて心のこもったメッセージを語られていました。(昨日の今日であり選手の皆さんにとってはちょっと辛い?かな?^^;) (記:岡内)

ダラダラ続くアップダウンと暑さはありましたがスタートから足が重く36分57秒かかりましたが種目別では9位に入りました。平地よりプラス1~2分はかかっていると思います。
周りは高校生ばかりで入賞ラインの8位とは18秒と思ったほど離れてなかったので残念でした。大阪マラソンでは、福岡国際マラソンに弾みのつく走りをしたいです。(記:高橋)

2011年10月 7日 (金)

秋合宿のご案内

WGM会員の皆様

事務局の宇梶です。すっかり秋らしい季節となってきましたが、年間スケジュールのとおり、10月22日(土)~23日(日)に秋季合宿を行いますのでご案内いたします。奮ってご参加ください。

今年は 11月の湘南、大田原、つくば、河口湖各フルマラソンの準備として、第1日目午後の「走り込み」にポイント練習を絞っています。
1日目午前、2日目はファンラン、LSD、ラン&ウォークとしています。そして夜はたっぷり懇親を楽しみましょう!

参加の方は宇梶までメールか電話にてご連絡ください。
 または、10月9日(日)・16日(日)の練習会にてお申し出ください。

宇梶


【合宿内容】

1.日程   平成23年10月22日(土)~23日(日)

2.場所   埼玉県越生地区 「ニューサンピア埼玉おごせ」宿泊

3.参加費 13,000円(1泊1朝食1昼食1夕食、懇親会・入浴費含む)

      ※1日目の昼食費は各自負担


4.集合  10月22日(土) 午前10時「ニューサンピア埼玉おごせ」前

      午後から参加の人は、午後2時に集合。

      交通手段は自家用車(協力して乗り合いで)、

      または、越生駅からバスを利用する。
         *川越観光バス 黒山行「ニューサンピア埼玉おごせ」下車

       http://www.asahibus.jp/html/time/201102ogose01.pdf


5.練習メニュー

■第1日

(午前) 「埼玉最大楠の巨木見学」写真撮影 7~8㎞の軽いジョギング

⇒午後ポイント練習のためのウォームアップ


(午後) 本練習:20~35㎞のビルドアップ走(5㎞の周回コース)

     http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=23215fe974da8c098551fa6454d9b16b

(だいたいのペースの目安です)

1周目 :5分45秒~6分/㎞   28分45秒~30分/周
2周目 :5分15秒~30秒/㎞  26分15秒~27分30秒/周
3周目 :5分~5分15秒/km  25分~26分15秒/周
4週目~:フリー(各自設定のペースで)

*17時30分までに練習を終了し、入浴後、18時30分より夕食・懇親会

■ 第2日 (希望によりA・Bメニューを選択)*早朝練習は無し

・Aグループ:LSD 2時間~2時間30分(20~25km) 9時30分練習開始

* 10.9kmの周回コースを利用 2周程度


・Bグループ:ラン&ウォーク  約18㎞  8時20分出発

(舗装道路・林道はゆっくりジョグ、ハイキングコースは歩く)

ニューサンピア越生~黒山三滝~関八州見晴台~飯盛峠~羽賀山~ニューサンピア越生


* 練習終了後、入浴、13時~昼食

* 13時30分 現地解散

2011年10月 4日 (火)

10月の東洋大トラックでのタイムトライアルについて

以下、2011年WGM練習計画表(練習スケジュール)の「埼玉駅伝代表選考会」についての解説、補足説明です。

練習スケジュールの10月予定に、「埼玉駅伝代表選考会①」「埼玉駅伝代表選考会②」として掲載されていますが、具体的には、東洋大のトラックでの5000mタイムトライアル(自己計測)となります。

また、日付(曜日)ですが、いずれも土曜の午前中となります。

「埼玉駅伝代表選考会①」-->10月15日(土曜)
「埼玉駅伝代表選考会②」-->10月29日(土曜)

※「埼玉駅伝代表選考会②」については、例年は秋合宿の初日の練習として実施していましたが、今年は完全に合宿と切り離して実施することになりました。

あと、名称の「埼玉駅伝代表選考会」についてですが、特に埼玉駅伝に限ったことでは無く、シーズン中に何度か行われる駅伝行事、具体的には黒山鎌北駅伝、奥武蔵駅伝、などのWGM駅伝行事でのチーム編成を行うための基礎データ収集を目的としております。

年に一度の定期健康診断?的なものと考えて、ふるってご参加くださいますようお願いします!

尚、このタイムトライアルの結果については、WGMシーズンベストの対象とさせていただきます。どうぞ、シーズン自己ベストの達成を(無理の無い範囲で^^;)頑張ってください♪

セミオープン(WGMメンバー、坂戸陸協、WGM知人友人、近隣のRun仲間の参加もOK♪)です・・よね? ^^

2011年10月 1日 (土)

■■ 訃 報 ■■ 

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■■ 訃 報 ■■

WGM創設時よりのメンバーとしてご一緒に活動してこられました成田様が10 月1 日にご逝去されました。ご遺族様の希望で家族葬とのことでしたが、生前親交の深いWGM会員も多数参列することを許されました。成田様のご冥福と残されましたご家族の皆様のご平安をお祈り申し上げます。
突然のことでした。難病に侵されていることは承知していても、この夏には一緒に鳥取の大山に登り、未だ見ぬ九州・四国を回遊したいといっていた君がこの10 月1日に突然、逝かれるとは。6 月末に、7月11 日に腰の手術を受けるので旅行には行けそうにないという断りのメールを受けながら。何故、この夏にあの八日市場の思い出の君の別宅(末事ながら私が設計し、落合君提供の檜の大黒柱が屹立する君の第3の故郷の家)に落合君共々会いに行かなかったのか、悔やまれてなりません。
君との出会いは何時だったのか?それは第一回の坂戸毎日マラソン(1980 年)か、事実上その後のWGM 発足の時(1984 年)か?いや違う、何かもっと昔から、それこそ君が秋田に、落合君は熊本に、私は横浜いた頃から...、当時は歴史に残る集団就職の時代です。それから20 年後に初体面した我々に言葉の障壁(秋田・熊本・いい加減な横浜弁)はありませんでした。
我が住宅の半地下には、その頃から梁山泊というか、不良中年、今では不良熟年、はたまた老年か。そこでは恒例の新年会・春の農業菜・夏の山行の作戦会・秋の収穫祭・必要に応じた飲み会(晴天では畑・雨では此処)が有りました。この30 年近く、WGMのの歩みと同じくそこで語られていたのは、自らの来し方行く末の事ごと。そこに成田君お得意の「君ね-、それは違うよ」と天下国家を語る硬派の君がなつかしい。こんな事を言われた彼方、思い当たりますよね。そんな中、最も矢面にされたのは、関谷君でした、何故かというとそれは、単に彼の職業が公務員だっただけです。
東北人は戦前から、何時も日本の調整弁でした。江戸時代・明治維新・第二次世界大戦と続き、上野駅が迎えた戦後の集団就職(覚えているでしょう、あの「三丁目の夕日」)。
そして今回の東日本大震災に加えて福島第一原発事故。でも、関谷君にしてみれば、これは大変な迷惑、何故って、彼は福島の隣の栃木の出身、それこそ福島原発至近の被害地、関東とは言っても東北の色も濃厚な地。つまり、彼が攻撃していたのは、このいい加減な日本国の体制、言はば、生まれ故郷(秋田)からの反骨精神の表れだったのではないでしょうか。

こんな事ばかりいっていては、君のもう一方の、輝かしいアスリ-トの世界をないがしろにしているような気もします。何故って、我々皆が付き合って来たのは、このWGM の世界(何歳に成っても、俺が勝った・おまえはダメだ・今度は負けねえぞ)。その千代田公園では君は何時も先頭をきって走っていました。君は、生国では400m のトップアスリ-ト?と聞いています。東京では?でも長い距離は苦手だった様です。いやそうでは有りません。アルバムを紐解いてみれば、君は他の仲間と同じく、マラソンの先駆者である所さん(牛に引かれて善光寺ではありませんが)に引かれ、最初から河口湖マラソン(1986 年第11回-43 歳)に挑戦しています。それも4 時間を大きく切って。だけど、君について言えば、あの劇的なアンデルセン状態はこの時だったのか、それとも次の年だったのか?
いやそんな事はどうでもよい。その日、WGM メンバ-の殆どがゴ-ルし、ヤツは如何したんだ?という時に君はひょっこり帰ってきた。それも全身血まみれになって。何度も倒れ、それでも起き上がってゴ-ルを目指した君、どうしてゴールしたか記憶に無いという。これが君の、陸上に対する心意気。何が何でもゴールに向うそのアスリ-ト魂。
此の頃、機関紙の「メイトの横顔」の君の紹介で、今後、10 Naritasan02年間はいい汗をかき、出来れば海外のレ-スにも参加(出場ではなく)と語っていましたが、ここに来て、世界のボストン・バンク-バ-マラソンと立て続けに参加し、この世界でも、充分な足跡を残しました。

それと、もう一つ、走るだけではなく、随分山にも登りましたね。近隣の低山はともかく、最初のアタックは南アルプスは北岳(富士山に次ぐ日本第二の高峰)でした。それも、裏側から登る、セミプロのルート。河原に張ったテントの前で、私が造る夕飯を待つ君はスプ-ンを鳴らして年甲斐も無く可愛かった。テント撤収に、寝袋も畳めない君、いやパ-ティに不本意ながら叱る私に、一生懸命にやろうとしていた君達はやはり(走ることと同じに)輝いていた。その後に踏破した北岳山頂上は至福の場。君は覚えているか、皆が食った昼食は単なるカップヌ-ドル。その美味かった事。これを機に我々は山に傾いていきましたね。
穂高・越後三山等たて続けに厳しい山を登ってきました。それが、一時期の停滞から2007・8年と東北にシフトして行きましたね。その後の二年間の山行は山だけでは無く、歴史の街を加えた東北探訪の大人の旅。これは、私の気持ちでもありましたが、今思えば、正に君へのレクイエムだったような気がします。先ずは、藤原3代の桃源郷観光(その後世界遺産になりましたね)と栗駒山・焼石岳登山(その後栗駒周辺に地震がありました)そしておまけのあの小沢の故郷探訪。翌年は奥の細道の石山寺から、月山・鳥海山登山・江戸時代の繁栄の港酒田と山盛りの海鮮丼、加えて藤沢周平の鶴岡と。私にもこんな楽しい2年間の旅はありませんでした。
2009 年夏に、あろうことかWGM の夏合宿で背中の痛みを訴えられ、寄る年波の体力の事もあり剣岳をやっておこうと計画していた矢先、この年の山行は中止となりました。あれから3年、君のいない山はやっていません。闘病むなしく今2011 年10 月、亡くなる一月程前に私も一緒に行きたかった、故郷の白神山地を訪ずれたそうですね、そして時を急ぐように君は逝かれました。それは何故なのか、東北その秋田の二つ井から生まれた君が・・・・。やっと解るような気がします。
このいい加減に成り下がってしまった日本とかけがえの無い地球・故郷に対する死をかけての君の抗議だったのではないでしょうか。上っ面の「頑張ろう日本」では無く。

君の生涯の友の一人、清水縣二

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